TRUE COLORS 03
ONENESS CREATIVE
メッセージをくださった皆様、ありがとうございます!!
名無しさん
箕輪一広 さん
遊牧民 さん
西村boy さん
めぐみん さん
ななし さん
名無し さん
人間誰しも存在自体に価値がある。
生まれてきた時は笑ったり、歩いたり、食べたり、話したり、と全ての行動を誉められる。
しかし年齢が上がるにつれて学力や体力など能力が求められる。
能力がない人は世の中排除され、一般的な人と違う人は分けられ、排除されてしまう。
本当は人それぞれ違い、人それぞれの生き方があり、全ての人は生きていることに価値がある。にも関わらず、世の中には差別や偏見、『普通』という世間の常識が潜んでいる。
こんなありのままに生きにくい世の中を変えたい。
誰もが自分らしくお互い助け合いながら笑顔溢れる世界になるといいな。
箕輪一広 さん
● あなたの本当の色 ●
自分に聞け!
情報過多の現代、自分自身でいる、
自分に自信を持って生きるのは、
とても難しい時代なのかもしれません。
ネット、SNS等の普及は言うまでもなく、
どうしても他人と自分を比べて、焦ったり落ち込んだり・・・
しかし、幸せの客観的基準は無い訳で、
結局自分自身の直観、心の声にいかに素直になれるか、でしょうか。
日常の些細な事から人生の大きな決断が必要な事まで、
もちろん、他人のアドバイスに耳を傾ける事も大事ですが、
基本は自分に聞け、です。
自分と言っても表面的な見栄やプライドではなく、
深い部分の自分自身の意識が理屈ではなく、
心地よい、ワクワク出来る、直観、感覚に素直に従う。
それがどんなに他人と違っても、世間の常識とかけ離れていても
惑わされない。
他人と違うという事はとても素晴らしい事なんです。
【箕輪一広】さん
遊牧民 さん
私の人生談ですが読んでくださった皆さまがここから何かを感じとってくだされば幸いです。
【わたしは幼い頃から社会で起きていることに興味を持つ子どもだった。
特に、戦争や飢餓で苦しんでいる人をテレビやニュースで見ると心が痛んだ。
幼心に将来はこうした状況をどうにかしたいと思い、希望の大学に入った。中高の不自由な学校生活から抜け出し、何でもできると思っていた。
しかし長年の両親の不和が原因で軽いうつ状態になった。1年間家を飛び出し、近くの祖母の家で暮らした。
私が原因ではないのに、なぜ誰よりも心を痛め、家を離れなければいけないのか。
なぜ、こんな状態であるのに家族関係を続けようとするのか、幸せに暮らせるなら離散した方がましじゃないのか。と、
悲しみと怒りがこみ上げた。
友人や知人に話しても、
大変だね、
つらいね、
の一言。
同じ状況にないから期待はしていなかったけれど、
私の気持ちなんかわからないだろうね、
あなたたちは幸せでいいよね、
と思う自分の無慈悲な心と、相手を考えることのできない余裕の無さに辟易した。
苦しくて笑えない日々が続いた。
でもそんな時、ある人が
親は親だし、ひとりの人間。
あなたはあなたの人生を生きればいい。
と言ってくれた。
そして同じころに、とある本に出会った。
それはユダヤ人の強制収容所で過ごしながらも生きる希望を見失わず、収容所を出たのちに自らの体験を本として出版した人の物語だった。
そのなかに、
あなたが人生に絶望したとしても、
人生があなたに絶望することはない、
という言葉があった。
私はこの言葉の数々にとても勇気をもらい、今が辛いだけできっとこれからはいいことがたくさんあるに決まっている、と思えた。
そして同時に、一年ものあいだ自分と向き合い、孤独を経験したことで、本当は“自分”を助けられていないことに気づいた。
それまでは、他人のために何かしたいと思っていた。元々の性格もあったが、それは相手への共感のSOSも含まれていて本当は心の中の自分が泣いていたことを知った。
自分を大切にできなければ他人なんて助けられるはずがないと、はっとさせられた。
だから、わたしはまず自分を大切にすることにした。自分を大事にすることの意味がそれまではわからなかったが、
それはナルシストになることでも、
自分勝手になることでもなく、
自らの気持ちに誠実になること
だと、
初めて理解した。
そして私はいろんな場所に出向いた。
大好きな旅行やボランティアで国内や海外など沢山の場所を巡った。
心揺さぶられる経験をしたことで、私の世界はこんなにも広く、やろうと思えば不可能なことなどないのだと気づくことができた。
そして沢山の価値観に触れたことで、一方的な助ける・助けられる関係ではなく、同じ人間として対等で、双方がよい関係をつくり続けられるような存在になりたいと願うようになった。
そして私は日本と外国との架け橋になりたいという思いから、いま日本語教師を目指している。】
私もはじめてここまでのことを話しましたが、他者には知られないストーリーを刻んでいくのが人生だと思います。他者が喜んでいたり楽しそうな姿は見えやすいですが、悲しみや怒りの多くは見えないのが現実です。苦しみの時間においてそれを耐え忍ぶことは容易ではありません。
しかし、きっとどこかで見守ってくれている人がいます。それは家族や友人、恋人かもしれないし、遠くにいる人やずっと前に生きていた全く知らない人かもしれません。
世の中には辛いことや悲しいことが沢山あるけれど、ひとりじゃない。
なぜなら人は、ひとりでは生きてはいけないからです。傷つけられて、私も一時は人を信用できなくなりました。でもそんな自分を助けてくれたのは、私をあたたかく見守ってくれていた“人”でした。
今後も人との出会いを大切に、感謝しながら、自分らしく生きていきたいと思っています。
私は「ストップ・キス」を応援します!
「ストップ・差別・偏見・言葉の暴力・無知・無関心」
ハンドルネーム:遊牧民
西村boy さん
30を超えてから俳優になりたいと言う夢を見つけました。でも今目の前にある現実を見てしまうと中々一歩が踏み出せないでいます。親に対しての想いや自分自身のこれからの事。簡単には整理出来ない糸が複雑に絡み合いそれをどう解いていけば良いか悩んでます。
30を超えて自身に軽度の発達障害があるのわかりました。人に言われた事を一度では理解しきれず何度も聞き返したり自分で発する言葉さえも覚えていなかったりと病気がわかるまでは苦労しました。
人が自分に対してどう思ってるだろうと探りながら人と関わるのでその人が言った言葉や仕草が非常に気になり奥手になってしまう。関わる全ての人と仲良くなれる訳ではないと分かっていても友達が欲しい、仲間や戦友が欲しい等の承認欲求が人一倍強いので無理に人と関わろうとする。その人との距離感が図れなくなる時もあるので最終的に嫌われて一人ぼっちになる。
病気がわかってからさらに悩む事も多くなり新しい場所へ飛び込むのをさらに躊躇してしまっている自分がいます。人ができるからやりなとか安易に言われると余計意地を張ってしまいさらに前に進めなくなる。ある種の負のループに陥ってます。
何か一つでも自信になるような事があれば今ある現状が変わるのですがそれすらも見つけられない状況です。
ニックネーム
(ある人達からは西村boyと呼ばれています)
めぐみん さん
私にも恐らく人並みに夢がありました。声優になりたいと思った時期もあるし、プロミュージシャンで生きている自分を想像したことも何度もある。もうちょっと見た目がイケてたら女優さんも良いよね(^_^;)
結局どの夢も叶うことなく今に至るし、この先に叶うことはないだろうけれど、好きな業界で10年以上働けて、人並みに結婚も出来たし、時間はかかったけど一人娘にも恵まれて、ここ数年で新しい楽しみも出来て、ワタシの人生悪くないんじゃない?と思うワケです。
ななし さん
子供の頃はどちらかというと目立ちたがり屋だった私。
でも、小学生の時いじめにあってから、人前に立つことが苦手になりました。
人前で話すこと、知らない人と話すこと、人に見られることが怖くなったのです。
仕事を始めてからは、色々な場面で上記の性格がは弊害となりました。
プレゼンテーションや電話応対の場面など、その度に心臓が飛び出るような感覚に陥り、話し方もしどろもどろになってしまいます。
このままではダメだ、、と思い、思い切って心療内科に行ってみました。
自分で調べていてなんとなくはわかっていましたが、SAD (社会不安障害)と診断されました。
その際、先生から
「緊張を楽しみなさい。それから何かを伝える時、緊張している自分より、伝えたい相手に意識を向けなさい。」
と言われました。
この言葉はすごく心に響き、薬のおかげもあるとは思いますが、徐々に改善していっています。
日本では、私と同じような症状の人は実はたくさんいるようです。
もしこれを読んで、同じような悩みを抱えている人がいれば、参考にしてもらえると嬉しいです。
何より、子供の頃受けたいじめは、想像以上に長く影響をもたらすのだと感じています。(もちろん人にもよると思いますが、、。)
まずはいじめや偏見のない世界を、実現できるといいなと思っています。
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