TRUE COLORS 01
ONENESS CREATIVE
メッセージをくださった皆様、ありがとうございます!!
地湧の蓮華 さん
塩豆大福 さん
ぺの88 さん
うさぎゆめ さん
匿名希望 さん
M さん
地湧の蓮華 さん
私は「ストップキス」を支持します。
なぜなら、、、
私は、脚本の主題であるLGBTの当事者だからです。
私は、ゲイ(男性の同性愛者)です。
同性のパートナーもいます。
彼は最近、LGBTのボランティア活動を
やりはじめました。
そして私自身も何らかの形で社会へのout putをしていかなければならないと考えていた矢先でした。
稽古場ではじめて脚本を渡された時はビックリしました。こういう形でシンクロするとは!
そして、刑事との事情聴取の最後の告白のシーン!すばらしい!
いい脚本です。
皆さん知っていますか?
LGBTの活動を運営サポートしているボランティアスタッフの中にはお子さんや、身近な近親者に身体障害者の方がいらっしゃる事を!
私自身も小さい頃から同性愛者だと気付き、母は片耳が聞こえない身体障害者でした。
自身の人生において、世間の無知、言葉や表現の暴力、差別と闘い。
そして、物心ついた頃から第三者の目で母親の身体障害に対する世間の非常さ、差別、そして悲しみを見てきたとくしゅな少年時代を送ってきました。
お陰様で、強くなりました。外見は!笑い!
ですから、私の関心事(人生のテーマ)は全てのマイノリティ(少数派)の立場にある人が受ける世間からの差別、偏見、無知、表現の暴力、etc...問題です。
是非、この舞台(イベント)を中身のある物ににしてください。お祭り騒ぎで終わらせないで!
マジョリティ(多数派)のかたたちにも知ってほしい!
同じ心があり血が通っている人間である事を!
それには、主演の方々、うわべの小手先の芝居では、ばれてしまいますよ!
当事者の人生の、悲しみ、苦しみ、葛藤、恐怖、喜びを本当に知らないとネ。
いつの間にか、プロデューサー気取り!
笑い!
私でできる事は応援します。
私は「ストップ・キス」を応援します!
「ストップ・差別・偏見・言葉の暴力・無知・無関心」
ハンドルネーム=地湧の蓮華
塩豆大福 さん
私は、「ストップキス」を応援します。
なぜなら、
私は、子を持つ親だからです。
この世に、私たちを選んでやってきてくれたかけがえのない命。
お互いに愛し合い、学び合って、成長し合う魂。
いつまでもその輝きを応援し続けたい。
そして、世界中のどの子もどの子も、みんなキラキラと目を輝かせ、夢を持って、
幸せな人生を歩んでほしい。
どの命もみんな大切な命。
一日でも、一分でも長く、その命を輝かせてほしい。
今日も、近所のママ友と道で会いました。
あれ以来、スーパーや近所の道で会って、ちょっと立ち話をしても、
天気の話、住宅の話(同じ住宅なので管理関係とか設備のこと)、近所の方の引っ越しの話、、、
でも、子供の話をしません。(できません。)
5年前、彼女の息子さんであり、私の子供の幼馴染であるYくんが亡くなりました。
自分で自分の命を絶ちました。
あと数日で、Yくんの20歳の誕生日というとき。あと1か月ほどで、みんなと一緒に成人式を祝うはずだった、そんな時。
Yくんに何があったのか、いまだに聞けていません。
その頃、ネットで見かけたある噂によると、Yくんが通っていた大学では、いじめによる自殺が何件かあったとのことでしたので、もしかしたら、、、?と思いました。
その少し前に、駅から家に帰る道で、私の何十メートルか先を歩くYくんの背中を見ました。
確か週末だったので、バイト帰りかな?と思いました。Yくんのお母さんから、土日はバイトを頑張っていると聞いていたので。
バイトで疲れてるのかな~?と思いました。
でも、少し丸めてうつむきぎみに歩くその背中は、なんだか寂しそうでした。
いろいろなニュースを見たりして命の尊さを思うとき、いつも彼のその背中を思い出します。
赤ちゃんの時から、子供同士一緒に遊び、毎日のように公園に行き、同じ幼稚園、小、中学校に通いました。
どんな苦しいことがあったのか、わかりませんが、命だけは大切にしてほしかった。
Yくんのお母さんは、その後も近所で会っても、いつも笑顔です。差しさわりのない世間話しかしないけど、明るく生きています。
きっとどんなにか沢山の涙を流したでしょう。
もし、自分だったら、と思うと、そんなふうに笑顔で人に接することができるだろうか?・・・相当時間がかかるに違いないです。
きっと一生、「どうして?」という疑問符を抱えながら、それでも一生懸命生きていくのは、苦しいに違いありません。
親御さんのため、とは言いませんが、自分自身のためにも、あと一日、あと数分でいい、
自分を好きになって、自分を大切にしてほしかった。
そのほんのちょっとの間に、もしかしたら、誰かと心が繋がり合えたかもしれない。
何かの光がさしたかもしれない。夢や目標が持てたかもしれない。
だから、もし、生き辛いことがあったり、夢や目標が見えなかったり、自分を好きになれない人たちがいるなら、
どうか、自分のいいところを見つけて、好きになって!
あなたの個性はマイノリティーではなく、あなたらしさなのだから。
あの時は、Yくんのおかれている状況をしらなかったから、言えなかったけど、
「あなたはあなたでいいんだよ。存在するだけでいいんだよ。」と
みんなに言いたいな。
でも、なかなかそういう機会は持てないので、この「ストップキス」の公演や、EQCの活動を応援することで、一緒に伝えていきたいと思います。
「ストップキス」を観て、ここに集まるみんなと触れ合って、少しでも多く、暗い顔をしていた人が笑顔になってくれたら、嬉しいな。
匿名希望
ペンネーム 塩豆大福
ぺの88 さん
私は、子供の頃から、姉に抑圧されて生きてきました。
幼い頃はあまり気にしなかったけれど、何かする度に、
「あなたばかりずるい」と言われ、母からも、
「お姉ちゃんがこう言ってるから我慢して」とよく言われました。
歯科衛生士になった姉は、勤務先で知り合った歯科医と結婚し、その後関東近郊で歯科医院を開業しました。私は、大学時代に知り合った現在の夫と6年交際し、いざ結婚を考えたときに、姉から、
「あなたには義兄の後輩の●●先生と結婚して、うちの病院を継いでもらおうと思っている。まずは顔合わせのために歯科医の集まりに出席するように」と言われました。
私の隣には将来を考える相手がいるのに、会ったこともない相手との人生設計が、私の知らない間に出来上がっていたのです。
私は、両親に、なぜ自分の人生を思う通りに生きてはいけないのか、と尋ねました。
父は、「自分の人生は、自分のために生きればいい」と言ってくれましたが、母は、「女の子二人だから、家の事を考えると将来が不安。お姉ちゃんの言う通り、歯医者と結婚してくれたら安心だから、そうしなさい」と言われました。
反発をした私は、もちろんその集まりには参加せず、姉夫婦から叱責されました。
それから、母と姉から毎日のように責められ、別れるように言われ続けました。
彼も家に呼びつけられ、母と姉から、「この子と別れてくれ。今後二度とあなたと会う気はないので、私たちの前に現れるのもこれっきりにして欲しい」と言われました。
それでも別れなかった私は、母と姉から、
「どうしてもその相手と結婚したいのであれば、親子の縁を切って、この家から出ていけ。将来子どもができて何事もなかったような顔で帰ってきても受け入れるつもりはないし、両親が亡くなっても財産が貰えるとは思わないように」
と言いました。
これ以上の話し合いは無駄だと悟った私は、家を出て夫と結婚しました。
父だけは私の味方で、
「ママとお姉ちゃんには言って聞かせるから、好きな相手と結婚しなさい。ダメならいつでも帰っておいで」と言ってくれました。
結婚から6年後に息子が生まれ、その5年後には娘も生まれましたが、その間の約10年、母と姉と会うことはありませんでした。
父だけは、時々電話をくれたり、外出先から家を訪ねてくれていました。
実家と疎遠な状態が続いていましたが、娘が1歳になる前に入院をした事がきっかけとなり、母から連絡が来るようになりました。
家を出てから25年経ち、今は母と、姉とさえも表面上は穏やかに接しています。でも、25年たってもあの時浴びせられた言葉は忘れることができないし、忘れているように思えても、何かの拍子に甦ってくることがあります。
こうやって文字にしていても、正直思い出すと辛くて涙が出ます。
だけど、家を出て(家族の呪縛を絶ちきって)自分の家庭を持つことで、自分の居場所を手に入れました。
なので、あの辛い時期も、私が私であることの大切さに気づくためには必要な時間だった、と考えるようにしています。
自分の人生は自分だけのもの。当たり前ですよね。
誰かに支配されて価値観を押し付けられて生きる人生が、どれだけ辛いか私は知っています。
自分でいられる場所を見つけることがどれだけ大切か、私は身をもって知りました。
もしもどこにも見つからなくても、EQCのみんながあなたの居場所になってくれるはず!そして、私も。あなたの笑顔のために。
ぺの88
うさぎゆめ さん
恋愛や性を考えるのが辛かった。僕が好き(LOVE)と勘違いしていたものは、周りから見たらLIKEで、人に話せば話すほど自分の好きがわからなくなった。そして気づいたら、自分の中には、好き(LOVE)なんて存在しないんだって思うようになった。
恋愛や性を考えれば考えるほど、自分は周りと違う様に思えて孤独で、どうして好きになれないのかと泣きそうになった。
今もまだ好き(LOVE)という気持ちはわからないし、どくしようもなく寂しくて、泣きたくなる日もある。でも、ある時見かけた「一人一人にそれぞれの性がある」というポスターの文言が、僕の心を支えてくれています。僕は僕らしく、僕の好きを信じ、気持ちに嘘をつかず、まっすぐに生きたい。
匿名希望 さん
私は中三の時に精神的に病んで1年間入院していました。なので高校受験も入院中にしました。
今思えば病んで良かったなと思います。(究極のポジティブ)
と言うのも、
平静を装っていないとお医者さんに治った。と認めてもらえない、つまり退院が出来ない。
どんなにイライラしても落ち込んでも平静を装って演じていました。その力が今となってはメンタルコントロールに繋がっています。
【匿名希望】
M さん
私はストップキスを応援します、、、なぜなら、
10年以上ダンスを習っています。
本当は、いろんなアーティストさんに引っ張りだこな、活躍するダンサーになりたかった。
もしもダンサーで活躍したとしても、いつか怪我や、年齢で、やめる時が来る。
その時のために資格を取ろうと思い、歯科衛生士の専門学校に入りました。
ダンサーとして活躍する自信が強くなかったので、もしかしたら逃げだったのかもしれません。
高校生の時、歯科医院で3年間歯科助手のアルバイトをしていたので、学校は楽だろう、と調子をこいていましたが、とても辛い3年間でした。
実習では、意地悪な歯科衛生士、女医に、理不尽なことで毎日怒られ、精神的におかしくなり、栄養失調、脱水症状で、点滴が必要なほど追い込まれた時期がありました。
そんな時救ってくれたのは、小さい時からの憧れ、そしてダンスを始めようと思ったきっかけである安室奈美恵さんです。
ダンスの先生から声をかけていただき、PV.CMに出演させていただきました。
国家試験対策で忙しいかったある日、コンサートの出演依頼が来ました。
国家試験対策と、就職活動と、リハーサルが被って、何かを諦めなければならない状況でしたが、夢である安室奈美恵さんのコンサートに立つこと、が、私にとても大きな活力を与えてくれました。
勉強も就活も、リハも、全てが順調に進みました。
現在、ダンサーではなく歯科衛生士として働いています。活躍しているダンサーになりたかったけど、安室奈美恵さんと3回共演できたこと、それだけで十分夢が叶った!と思い、日々歯科衛生士として頑張っています。
職場の雰囲気はとてもよく、みんな仲良しで、毎日が楽しいと思えます。
辛い時を乗り越えたから今の楽しい日々を送ることが出来ているんだなと実感しています。
何かを続けるということは、実は難しいことだけれど、すごく大切であり、必ず何かを与えてくれる、そして与えられる人になれる、と強く思います。
【M】
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